北鷹寮の弐階には「通信ボーイ」という階誌がある。
その階誌に一時期あったリレーコラム。そこに水口が参戦した。
続いて読んでいけばわかることだが、非常にイタイ。
何から何まで、イタイ。あ、P.S.は別にいいけど。
彼は疲れていたのだ。
部活に、勉強に、寮の仕事に忙しかったのだ。
だから温かい目で見てあげて欲しい。
ただし、疲れてない彼だったら、
こんなじゃない文章が書けたかというと、
それは私にはわからない。
冬に向けての私の希望
1998年12月24日(木)21:00。自分はアスパムのきれいなネオンをぼんやりと見ていた。
深夜発のフェリーの時間にはまだ間がある。
風が冷たくコートのえりを立てて寒さを防いでいると、急に温かいものを当てられた。
びっくりして横を見てみると、一人の女が缶コーヒーを両手に持ち、どこかさみしげに笑っていた。
二人とも無言だった。何もお互い言うことができなかった。
時は刻々とたち、フェリーの出航時間が近づいていた。
私は、ようやくその女を直視した。
その女の目には溢れるものが・・・・・・
プチッ!もうだめだ、とてもこれ以上書けん!鳥肌が立ってきた!
P.S. みなさん風邪には注意しましょう。
次回のまわします「ああ自分ってなんて・・・」 松山聡君
水口耕介
彼が次にコラムをまわした相手、
松山聡、彼の2つ下の後輩であるのだが、には、
彼の提示した題目、「ああ自分ってなんて・・・」は完全に無視された。
松山聡は、宮崎県の出身であり、北国の冬は初体験であった。
彼は「未知の世界」という題で弘前の冬について書き残している。
その最後のくだりを紹介しよう。
・・・・・・
寒さとの戦いの場であると同時に好奇心旺盛になる場でもある弘前の冬。
不安と期待に満ちた未知の世界が始まったのだ。
冬に何かを期する心は、どちらも同じだったのかもしれない。
・・・おかしいだろ。この締め方は。
ということで、
今は神戸の水口耕介氏。
雪が無く、寒さも緩い関西では、
一体どんな妄想を展開していることか。