もう負けませんよ
この話は、彼の特徴である『ジャンケンが弱い』ということに関連している。
そもそも彼の『ジャンケンが弱い』理由は、
普通の人なら全く意識せず自然にできていることができないことにあった。

世間一般的に、ジャンケンは、
「ジャンケン」というかけ声のあとの「ぽん」とか「ぽい」とかいうかけ声にあわせて、
一斉にグー・パー・チョキのいずれかの形を前に差し出し、
その差し出したものによって勝敗を決めるゲームであり、勝負である。
この短い課程の中で彼が特殊なのは、
普通なら「ぽん」というかけ声とともに手の形を変化させるが、
彼に限っては「ジャンケン」の時にもうすでに何を出すか決まっていることだ。
もしパーを出したいと思っていたら、
「ジャンケン」の時にはもう手の形はパーになっている。
弱くて当たり前だった。

私と彼とが住処としていた寮で、
夕食時にジャンケンをし、負けたものがすべての食器をさげる、
という小学生の鞄持ちのようなことが、
私や彼の他、数人で、毎食のように行われていた。

この彼の弱点はそのジャンケンが行われているときに全員の認知を得るに至った。
あるとき、見るに見かねた一人が彼にそのことを忠告したのだ。
そして彼は人生20年にしてやっとそのことに気付き、
そのことにおいては普通の人の仲間入りしたのである。

ここまででも十分に大した話ではあるが、
彼の場合はこれでは終わらない。
この話にはまだ続きがあるのだった。

彼は自分の弱点がわかり、その修正に成功したとき、

もう負けませんよ

などと宣い、大言壮語ここに極まれり、かと思いきや、
確かにその後は数回やって未だ負けていなかった。

私と彼がサシで勝負することになったのはそんなシチュエーションでだった。

何気ない会話をしながら彼と食事する私。
いつもジャンケンを共にする奴らは今日に限ってはいない。

『今日はこいつと2人で勝負か・・・』

そう考えたとき、ひとつの作戦が閃いた。

『きっと勝てる』

そう確信した。

まずおもむろに話しかける。

私:「おまえってまだアレ直ってないんだろ」

大げさな手真似をしながら言ってみる。

彼:「直りましたよ。もう負けませんよ」

やけに意気込む彼。

『汚名返上・名誉挽回』

彼の顔にはそう書いてあった。

『おまえは負けるんだよ。名誉返上、汚名挽回だ。』

心の中でそう呟いた。

私:「よし、じゃあやるか」

私にためらいはない。普通に勝負しても勝利の確率は五分。
それに加えて今回は作戦があるのだ。九分九厘の勝利を描いていた。

私:「いくぞ、最初はグー、ジャンケン」

ちらりと彼の手元を覗き見ると、手はグーのかたち。

私:「ぽん」

あいこ。二人ともチョキだった。

彼のクセは確かに直っている。その一連の動作に特に感じるものはない。
つまりは、普通だということだ。

私:「おお〜。なおってんじゃん」

素直に言っておく。その言葉に彼はちらと笑顔を見せた。

あいこという結果は、意外ではなかった。
私の勝利か、あいこか、ふたつにひとつ。
あいこがくることは予想の範囲内ではあった。 しかし『まずいかなぁ』という感じもぬぐいきれなかった。
まずあたらない、私の勘ではあったけれど。

あたらない勘を気にしてもしようがないので、勝負を続ける。

私:「よーし、もういっかい」

と、前置きしておいて、

私:「ジャンケン、ぽん」

『しまった』

私はチョキ、彼はグー。

『負けた!』

と思ったが、どうもおかしい。

彼は「最初はグー」だとおもってグーを出したらしい。

結局、やり直しとなった。

私:「最初はグー、ジャンケン、ぽん」

またしてもちょき同士。あいこだった。
少し考えたかったので、とりあえず言ってみる。

私:「本当に直ったみたいだな。なんか負けそうな気がする。やっぱりやめようぜ。」

彼:「いや、やりますよ」

やけに自信ありげだ。
負ける可能性も考えたが、
開き直ると言うほどではないけれど、
どうせ負けても2人分一回くらいだしいいかと思って、
続けることにした。
本当は食器をさげることなどどうでもよく、
私のプライドがかかっていたのだが。

今度は「最初はグー」はなしで、と言っておいて、

私:「ジャンケン、ぽん」

またちょきであいこだ。すぐに続けて、

私:「ジャンケン、ぽん」

ついに勝利した。

私の想像していた未来図が現実のものとなった瞬間だった。




彼は自分が以前から抱えていた欠点に気付き悔い改めた。
このことで彼がジャンケンで勝つ可能性は、人並みになった。

・・・はずであった。

普通の人は「ジャンケン」のかけ声がかかったとき、
たいてい手をグーの形にしている。
そしてそこから3種類の選択肢を持っている。
グー、チョキ、パーだ。

彼も「ジャンケン」のかけ声がかかったとき、
手はグーの形だ。
しかし彼はそこから2つの選択肢しかない。
チョキとパーだ。

彼は自分の過去のくせにこだわらずにいられなかった。
そしてそれを意識させるよう私が会話の中でし向けた。
そういう私の考えに気付き利用できるほど彼は機転が利かない。

これらの理由によって、
今、彼とジャンケンをしたとして、彼は、

『予め構えているグーはまず出さない』

私はそういう確信を持っていた。
そう思った私は彼に負けないチョキを連発した。

そして勝った。
しかし危険な勝負だった。
長引けば長引くほどこの駆け引きの成功率は落ちる。

それは、
彼のくせに対する意識が薄くなること、
彼がこちらの手を見て少しは考えること、
が予想できるからだ。

誰だってチョキ同士であいこを連発すれば、
グーを出す機をうかがう。 あるいはパーで裏をかくタイミングを計る。

しかし、やはり彼はパーだった。

彼は負けるべくして負けたのだ。

彼には、この度の敗北を糧として大きな人間に育っていただきたい。



※ 初出:1999発行「わくわく水口ランド 最終回」;その後結構改変(詳細描写);最終更新 2003.04.23


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